SF作家・テック評論家として知られ、プラットフォームの劣化を指す「enshittification(エンシットフィケーション)」という言葉の名付け親でもあるコリイ・ドクトロウ氏が、新著『The Reverse Centaur’s Guide to Life After AI』(未邦訳)を携え、米Ars Technicaのインタビューに応じました。同氏が問題視するのは、AI技術そのものの性能ではなく、AIをめぐる巨額の投資バブルと、その上に築かれつつある労働のあり方です。インタビューや関連の講演・報道によれば、ドクトロウ氏はAI業界全体でこれまでに投じられた資金が累計で約1.4兆ドルに達する一方、業界全体の年間売上高は500億〜600億ドル程度にとどまると指摘しているとされています。この巨大な差を埋めるために、企業は高賃金の労働者を安価なアルゴリズムに置き換えようとしている、というのが同氏の中心的な主張です。

ポイント

  • ドクトロウ氏は新著で、AIブームの本質を「投資バブル」と「労働の再編」という2つの軸から分析しています
  • 同氏によれば、AI業界の累計投資額は約1.4兆ドルに達する一方、年間売上高は500億〜600億ドル程度と報じられています
  • 売上の一部はマイクロソフトがOpenAIに支払い、OpenAIがマイクロソフトに還流させる取引を含むとも指摘されています
  • 人がAIを使いこなす「centaur(ケンタウロス)」ではなく、人間がAIの処理速度に従わされる「reverse centaur(逆ケンタウロス)」という概念を提示しています
  • 2023年のハリウッド脚本家組合ストライキを、労働者がAIに対抗し得た数少ない実例として挙げています

背景と詳細

ドクトロウ氏は、プラットフォームサービスが徐々に劣化していく現象を指す「enshittification」という言葉を広めたことで知られる論客です。新著はファラー・ストラウス・アンド・ジルー(FSG)から2026年6月に刊行され、複数の報道でベストセラーになったと伝えられています。同氏は今回のインタビューで、AIの実利用面での成果が乏しいにもかかわらず、投資額だけが膨張し続けている状況を「バブル」と表現しました。

具体的には、AI業界の年間売上高とされる金額のうち、一部はマイクロソフトがOpenAIに支払った資金がOpenAIからマイクロソフトへと還流する形になっていると指摘されており、実態としての収益はさらに小さい可能性があるとの見方も紹介されています。ドクトロウ氏は、これほどの投資と売上の乖離を正当化するには、AIが労働市場の広範な部分を代替する必要があると分析し、そのためにあらゆるAI関連のニュースが「不可避で世界を変える技術革新」として語られなければならない構造があると述べています。

労働現場への影響を示す例として、医療機関に対しAIベンダーが、多数の放射線科医を解雇してチャットボットに置き換えることでコストを削減できると持ちかけている、という趣旨のエピソードも紹介されています。この場合、残された少数の医師は、AIの判断を追認するだけの立場に置かれつつ、誤診が起きた際の責任の受け皿にされかねないというのが同氏の懸念です。これはまさに、AIに使われる側に回る「逆ケンタウロス」の具体例だとされています。

こうした状況への対抗策として、ドクトロウ氏は個人による消費行動の変更や著作権の拡大ではなく、業界全体で使用者側と一斉に交渉できる「セクトラル(産業別)交渉」の重要性を強調しています。2023年のハリウッド脚本家組合のストライキは、著作権強化ではなくこの交渉権を武器にAI導入への一定の歯止めをかけた事例として位置づけられていると報じられています。

なぜ重要か

生成AIの企業導入が急速に進む日本でも、AIが労働者の代替として使われるのか、それとも労働者を支援する道具として使われるのかという論点は無関係ではありません。特に、人間が「AIの判断確認役」に押し込められ、問題が起きた際の責任だけを負わされる構図は、医療やコールセンターなど日本国内の職場でも起こり得る話です。また、AI関連投資と実際の収益の乖離という指摘は、AI関連株や関連事業への投資判断を考える上でも参考になる視点です。労働組合による産業別交渉という仕組みは日本の労使関係とは前提が異なりますが、AI導入をめぐる労働者側の交渉力という論点自体は共通する課題といえます。

今後の見通し

AI業界の投資と収益の乖離が実際にバブル崩壊のような形で表面化するかどうかは、現時点では見方が分かれています。ドクトロウ氏の主張に対しては、AIインフラへの投資は今後も拡大が見込まれるとして異論を唱える向きもあり、今後の議論の推移を注視する必要がありそうです。